第7回音楽講義のお礼と学び&謹賀新年

あけましておめでとうございます。
皆様、どんな新年を迎えられましたか。
私は昨年、自分の中で新しい夢も芽生え、多くの方々に支えていただいていることを実感し、感謝でいっぱいの1年でした。今年も夢の教本制作に向けて一歩ずつ丁寧に歩んで参りたいと思います。今年は卯年だからぴょんぴょん進むかなぁ。今年もよろしくお願いいたします。

さて、またしても大分日が経ってしまいましたが、第7回目の講義も大変多くの学びを得ることができました。ご参加くださったみなさまからも、「第九面白かったですねー」「やっぱりベートヴェンはすごいですね・・・」と、たくさんお言葉をいただいて、感激を共有でき、私も改めてベートーヴェンの魅力を味わえた時間となりました。

ベートーヴェンは『交響曲第9番』で、それまでの交響曲にはなかった【歌詞付き】という新しい形の試みを行いました。バッハの『マタイ受難曲』の講義の際にも、歌詞や言葉が、音楽の持つリズムや音型、アーティキュレーションにどの様に深く結びついているかを学びましたが、やはりベートーヴェンの作品においても同様で、たった一つの言葉や文章を音楽として表現するために、作曲家は大変な苦悩を感じ、想像を超える工夫をしているのだと思わされました。そして大切なことは、その苦悩や工夫はおそらく、自身の理念を単に音楽にしていくことではなく、どうやったら民衆に伝わるか、どのような形で差し出したら理解され、人々の心を音楽で動かすことができるのかということです。

歌詞(言葉)が付いているから、タイトルが付いているから解りやすくて聴きやすいという安易な考えに陥らず、私自身はやはり音楽を学び、伝える立場にある者として、その言葉やメロディの向こうにどんな世界が広がっているのか、本当にその解釈で正しいのか、いつも疑問を持ち続けていたいと、身の引き締まる思いでした。

それにしても、言葉って本当に難しくて面白いですね。今回の講義のあと、ネット上にアップされているいくつかの対訳を比べてみましたが、第九ひとつとっても、言葉の解釈によってこんなにも世界が違うとは・・・。
そして、今回の講義で改めてすごいなと感じたことは、ベートーヴェンの持つ多様な世界観です。宇宙、哲学、宗教、美術、自然、時代、、、世界のあらゆることに興味があり、傷つきながらも関わって、それらを全て音楽の中へ注ぎ込んでいくというそのエネルギーの強さ。本当にすごい!!
・・・そんなことを考えていると、学生時代に読んだ本の一節が思い浮かんだのでここに書き出してみます。
ギュンター・ヴァントという名指揮者(第九の録音もあります。)のことを書いた1冊です。

 

『私の人生は、音楽だけで成り立っているのではありません。私は多くのことに関心をもっています。文学、政治、芸術、世界で起こっていること、そして季節の移り変わりにも。人生において差し出されてくるすべてのものを吸収するには、静寂と時間が必要です。自然の素晴らしさを前にすると、もはや自分自身のことをそれほど重要とは思わないものです。私は専門バカではありません。もし私のシューベルトやブルックナーが、彼らが作ったように響いているとすれば、それは、私が自分自身に反省する時間を、つまり人間であるための時間を与えているからです。すべてのことが音楽へと流れ込んでいきます。そこにはすべてがあるのです。』ギュンター・ヴァント〜音楽への孤高の奉仕と不断の闘い〜 より

 

それから、今回でベートーヴェンの講義が終わってしまうので、講義の中でも少し出てきたカント(ベートーヴェンが影響を受けた哲学者)の言葉で、私が高校の時から大好きな美しい言葉も最後に書いておきます。(当時、たしか倫理の授業で習ったのですが、その頃はベートーヴェンとカントが自分の中でつながっていませんでした。)

 

『くりかえし時間をかけて考えれば考えるほど、いつも新たに、ますます強い感嘆と畏敬で心を満たすものが二つある。わが上なる星空と、わが内なる道徳法則とである。』〜実践理性批判〜結びの言葉より

 

次回はいよいよ【第8回ミサについて】ですね。
1月19日(木)10時30分〜 今から楽しみです。

 

 

イデア・ミュージック・アカデミー
東海教室主任講師
日野あゆみ