春ですね。桜がきれいに咲いています。
前回のオンライン音楽講義から随分と日が経ってしまいましたが、第9回目を受講してくださった皆さま、この度もありがとうございました。
昨夏にスタートした講義も気付けば明日で10回目です。これまでの講義では、同じ題材(テーマ)でも時代や作曲家によって、こんなにも音楽的表現が異なるものかと驚かされましたが(ミサの回などは特に、、、。)、今回はさらに広く絵画や文学作品にも触れながら、時代とともに芸術作品に描かれなくなったもの、あるいはその代わりに描かれるようになったもの、その両者をしっかり見つめることができました。
講義の中で、『芸術の進歩は精神活動に大きくかかわっている』ということを知り、この言葉には自身の音楽生活も含めて、深く考えさせられるものがありました。
今から2500年以上も前、古代ギリシアのピタゴラスは星々の調和をハルモニアと呼び、「星たちが動く時にはきっと美しい音楽が奏でられているにちがいない」と言ったと伝えられています。その心はきっと美しい宇宙への憧れだけでなく、目に見えない創造主への深い畏敬の想いとともにあったことでしょう。救い主イエス・キリストの誕生を経て、静かな深い祈りの中で西洋の芸術は発展し、その後のルネサンス期で見事に開花しました。ギリシアの神々が再生され、人間の姿が劇的な表現法で生き生きと描かれるようになり、個の存在が声高に叫ばれはじめました。自由を得た人間が向かった先には一体どんな世界が待っていたのか、、、講義では、キュビズム絵画やニーチェ作品に至るまでの変化も、時代の出来事や音楽作品と並行して学ぶことが出来、今自分たちが生きている時代の現実を直視させられる部分もありました。
『ギリシア神話のプロメテウスが神々から火を盗んだ時、それは明白な高慢であった。今の時代では、新しい技術を生み出す人は〝盗む〟という感情を持っていないという違いがある。』という文章をどこかで目にしたことがあります。科学や文明の進歩は人類の多くの夢を現実にし、不可能を可能にしました。人間の限界や自然との境界が見えづらくなっている現代においては、プロのピアノ演奏ですら音楽を学ぶ本来の目的や意味を失っているように感じることも少なくありません。音楽は様々な芸術分野の中でも、演奏という手段で直接作品に触れることができる素晴らしい贈り物ですが、そのゆえに演奏者の作品への理解、精神性の高さや魂の深さが全て音にあらわれ出てきます。自然と同じように美しい音楽に触れる時、私たちはもっと人間である自己の卑小さを自覚し、畏れや敬いを持って接しなければいけないのだと、とても大切なことに気付かされた時間となりました。
イデア・ミュージック・アカデミー
東海教室主任講師
日野あゆみ