5月の大型連休も過ぎ、夏に向けて少しずつ気温が上がってきています。
先月20日は、第11回目のオンライン音楽講義でした。昨夏よりスタートした講義もついに今週木曜日で最終回となります。お忙しい中、受講してくださっている皆様には心から感謝申し上げます。
さて、第10回目までは作曲家たちが見ていた世界、考えていた世界を中心に講義がすすめられてきましたが、第11回目は「演奏する者がどのような心得でもって舞台に立たなければならないか」といった視点から、室町時代に活躍した能楽師〝世阿弥〟の著書【風姿花伝】の内容を読み解く回となりました。
西洋のクラシック音楽と日本の能楽は、全くジャンルの異なる世界ですが、舞台上で何かを演じることや、その舞台へ向かう稽古での心構え、心懸け、準備などにおいて通じるものがあります。
世阿弥は芸の稽古の中で基礎を大切にし、それを繰り返すことの重要性を何度も説いていますが、その世阿弥が残したいくつかの言葉の中で「この花は、真(まこと)の花にはあらず。ただ時分の花なり」というものがあります。「時分の花」は、鍛錬と工夫とを経て得た「真の花」になる前の、まだ若い時期の一時的な輝きであり、それは本物ではない。本物になるためには基礎的な稽古を繰り返さなければならない、という考え方です。
普段、小さな子供たちにピアノを教えていますと、様々なタイプの子供に出会います。音楽的で感受性の強い子、譜読みも暗譜も速くて回転の速い子、聴力に優れ、多声部を聴き取れる子、自分の意思を持ちじっくり考えられる子、慎重で繊細な美しい音色を奏でる子、体格にも恵まれ、大胆で表現力のある子、、、本当に子供はみんな天才だ!と思うくらい個性豊かです。しかし、おそらくピアノも他の芸事も毎日の基礎的な稽古を繰り返すことなくして「真の花」を咲かせることは難しいでしょう。
指導していく上で一番難しいと感じるのは、やはり「時分の花」から「真の花」へ導いていかなければならない時期です。その期間は大変長く、特に「時分の花」を経験したことのある子供にとっては、「昔のほうがよかったような気がする」「前より下手になっているような気がする」という大きな不安に陥ることもしばしばです。そうではないよと口先で伝えても、実感を伴わないものであればその言葉はその子にとって何の励ましにもならず、こちらも焦りや無力感に押しつぶされそうになる時もあります。しかし、そのしんどい時期を一緒に乗り越えながら、思うように結果の出ない状態を辛抱強く持ち堪え、ゆっくりでも信じて歩み続けることの大切さを伝えられる指導者でありたいなと、いつも思っています。
イデア・ミュージック・アカデミー
東海教室主任講師
日野あゆみ